目に見えないミクロの世界に魅せられて
東北大学理学研究科物理学専攻教授
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター室長
肥山 詠美子
私が物理に興味を持ち始めたのは、「物理」という科目を勉強し始めてからだったので、高校2年生の頃です。高校の物理の先生の教え方が良かったのだと思います。先生の講義は、頭の中で物体がどのような法則で運動するのかイメージできるような教え方だったので、先生の講義を聞くだけで十分に理解でき、講義の時間がとても楽しく、いつもあっという間に終わっていた、という印象でした。しかしながら、このころは、自分が物理の道に進むとは思っていませんでした。しかも、将来の道も決めていませんでしたから、随分とのんびりしたものです。
高校3年生の12月に自分の将来を決める出来事がありました。初めて「原子核物理学」についての講義がありました。これまでの物理は、目に見える物体の運動についての勉強が主でした。しかしながら、原子核は目に見えないミクロの世界です。それなのに、原子核の現象を数式で見事に表すことができることに不思議さと魅力を感じました。この講義の後、もっと知りたいという欲求はふつふつと生じて、居ても立っても居られない状況になったことを覚えています。その足で物理の先生に相談に行ったところ、「もっと勉強したいのであれば、理学部の物理学科に行けばよい」というアドバイスをいただきました。そのアドバイスに従い、物理学科に進みました。ですから、大学に入ったときは、すでに私は原子核物理学を専攻する気で満々でした。
しかし、大学に入って、原子核分野には、理論、実験という分野があることを知りました。さて、どちらに進むべきか悩みました。この選択は、大学3年の時に決めました。大学3年生の時に受けた「原子核物理学」の講義です。この講義はとても面白い講義でした。ただ単に教科書通りの講義をするのではなく、随所に世界最前線の研究の話を織り交ぜ、研究の何たるかを知らない私たち学生を研究の面白さの世界へ引き込むのです。私が理論に行くきっかけになった一つの講義内容が次のような内容でした。その当時の原子核物理学でのホットな課題の一つは、核融合エネルギー生産に関するもので、ミュー粒子・重水素・三重水素のクーロン力が働く3粒子系の運動方程式を精度よく解くことで、7桁の精度で答えを求めることが望まれていました。
ロシア(当時のソビエト)、アメリカと日本の研究グループがこの精度で解くべく競いあっていて、当時の国際会議で、3グループが同じ数値結果を出して、決着しました。重要なことは、その数値を出すための計算時間で、アメリカやロシアのグループは、この数値を出すために大型計算機をフル活用して約10時間かかったそうです。一方で、講義を行った先生の計算法によれば、たったの3分で答えを出したというお話をされた。さらにその先生の話によれば、「九大グループの3体計算理論は、誰も使いやすい理論なので、この方法を習得すれば、早くから世界最前線の研究ができる」と熱く語られました。その当時、「世界最前線」という真の言葉を理解していていたわけではなかったのですが、この言葉に魅力を感じで、迷わず、原子核理論の研究者になろうと決意しました。それからもう30年近くたちました。
理論の研究者を目指してからというもの、研究者の道は必ずしも順風満帆ではありませんでした。しかし、この多体理論を夢中で習得し、さらにはもっと使い易い理論を開発発展させ、今では、5体問題まで精密に計算できるようになりました。この計算法を物理学の様々な分野に適用し、その分野での新しい物理を発見することに新たな喜びを感じています。いつも毎日が新しい発見に満ちていて、研究者の道を選んでよかったなと思っています。是非、皆さんも面白いと思うことにそのまま突き進んでください。失敗もあるかもしれません。しかし、若い時の失敗はいくらでも挽回可能です。
【略歴】
出身高校 | 修猷館高校 |
大学・大学院 | 九州大学 |
主な職歴等 | 理化学研究所ミュオン科学研究室基礎科学特別研究員 高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所助手 奈良女子大学理学部物理科学科准教授 理化学研究所・仁科加速器研究センター主任研究員 東京工業大学理学部物理学科特任准教授(兼任) 九州大学理学研究院物理学部門教授 理化学研究所仁科加速器科学研究センター室長(兼任) 東北大学理学研究科物理学専攻教授 現在に至る |