「響灘の夕日と馬頭星雲」
元日本天文学会理事長
東京大学名誉教授
岡村定矩
私が天文学を目指したきっかけは一つの写真との出会いであった。
高校の図書館で偶然手に取った写真集[i]にあった「オリオン座の暗黒湾」である。その神秘的なひびきもさることながら、そこに写っている馬頭星雲が胸を打つほど美しく見えたからであった。山口県の西端にあった私の生家は、海に比較的近い山中の西南に向かった浴[ii]の最奥にあり、隣家の明かりは全く見えなかった。その一方で標高は300 mくらいあったので、西は響灘、南は50 km離れた北九州が海の向こうにうっすらと望めた。小さい頃には田んぼのそばに寝転がって響灘に夕日が沈むのを長い間見ているのが好きだった。夜になれば満天の星も美しかった。
世の中にどんな職業があるのかもほとんど知らないような状態で進学校である下関西高校に進学した。実は一つだけなりたいと思った職業であるパイロットは、赤緑色盲なのではなれないことがすぐにわかった。そんな中で出会ったのがオリオン座の暗黒湾だったのである。背後にある恒星の光を受けて縁がわずかに輝くその姿は、響灘に沈む夕日に照らされた美しい雲と重なった。
こんなきれいな景色が宇宙にあるのなら天文学をやろう。これが私の人生を決めた瞬間だった。
オリオン座の暗黒湾(馬頭星雲) 鈴木敬信編「天体写真集」
東大の天文学科は数ある東大の学科の中でも最小の学科である。私の時代は定員6名であった。必ずしも物理や数学が得意ではなかった私が天文学科に進学できたのは幸運によると考えている。進学してから、天文学の基礎は物理と数学にあることが身にしみてわかったくらいだからとんでもない話である。
私が研究に携わった期間に天文学はまさにめざましい発展を遂げた。大学院で学んだ「新たな知見」の半分以上が今では「化石になった」といっても良い。
当時宇宙年齢の推定値は150±50億年、そしてその歴史は今から50億年昔までしか遡れていなかった。その後の40年になされた発見と新たに生まれた謎は、項目を列挙するだけで紙面がつきそうだがあえて試みる。理論上の存在でしかなかったブラックホールの実在、宇宙の大規模構造、ガンマ線バースト、重力レンズ、ダークマター、超新星からのニュートリノ、宇宙マイクロ波背景放射のゆらぎ、宇宙の加速膨張とダークエネルギー、太陽系外惑星、ブラックホール同士の合体による重力波の検出、二重中性子星連星の合体による重元素生成現場(キロノバ)の確認、そして2019年4月、人類はついに事象の地平線にせまるブラックホールの影の画像取得に成功した。宇宙年齢は138.0±0.2億年と推定され、すでに134億年昔の天体まで観測されている。宇宙の観測からもたらされたこれらの多くの発見と謎は、物理学の根本問題とも深く関わっている。
物理オリンピックに参加する若者たちがこれから宇宙についてどんな発見と新たな謎を見いだすか、大きな期待をもって見守りたい。IPhO2022の成功を願っている。
【略歴】
出身地 | 山口県豊浦郡(現下関市)豊浦町 |
出身高校 | 下関西高校 1966年卒業 |
大学院 | 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程1976年単位取得退学 |
主な職歴等 | 東京大学東京天文台木曽観測所助手、助教授。 東京大学理学部天文学科教授、東京大学理学部長・理学系研究科長、 東京大学理事・副学長、法政大学教授 |
その他 | 日本天文学会理事長、国際天文学連合第VIII部会(銀河と宇宙)部会長、 国際天文学連合日本代表、日本学術会議連携会員(第3部) |
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1.鈴木敬信編「天体写真集 二百吋で見る星の世界」(誠文堂新光社)。
初版が発行された昭和28年は、パロマーの200インチヘール望遠鏡が完成して5年後である。
2 .中国地方の言葉で、「えき」と発音し、小さな谷を意味する。