「研究生活を振り返って」 村田 隆紀 リレー・エッセイ1-4

研究生活を振り返って

日本物理教育学会会長
村田 隆紀

 

 

私は1958年(昭和33年)に京都大学理学部に入学して、物理学を専攻した。
高校時代は物理が大好きであったが、今思うとそれは物理の問題を解くことが好きだったということに過ぎなかった。大学に入って物理や数学の授業を聞き始めると、それまで自分が思っていたものとは全く違う世界であることに気付かされた。
物理の授業でいきなり見たこともないベクトル演算子が出て来たことや、数学で無限小を説明するためにε-δ法というものがあることを知ったときのカルチャーショックは今でも忘れられない。

しかし、それで物理好きが消えたわけではなく、物理を専攻し、大学院では光物性の研究室に入って真空紫外分光器を使ってイオン結晶の光物性を勉強した。今と違って当時は実験に使うものや測定器を手作りすることが多かったし、計算機もない時代なので、計算尺や対数表にお世話になったものだ。測定してからその結果をグラフにするのに、丸1日かかる時代であった。それでも毎日が充実した日々であった。

1966年(昭和41年)に京都教育大学の物理学教室に講師として就職し、物理を教えるという生活に入った。しかし、先輩の先生方の多大な支援のおかげもあって、実験装置を整え、大学院で行ってきた研究を続ける事ができたのは本当にありがたいことだった。しかし小規模の大学での研究の継続はなかなか大変なもので、時間、予算、人手のない中で研究を継続することの難しさは日に日に強まっていき、ついには何をしてもうまくいかない、アイディアが浮かんでこないという大スランプに突入した。

そんな悶々とした日々を過ごしていた1978年のある日、研究上の大先輩の東大の先生から一本の電話がかかってきた。フランスのLUREという研究所長のYves Farge先生が京都に行くので案内をしてくれないか、という依頼であった。私は喜んでお引き受けすることにして、Farge先生を2日間京都の案内をした。最後に別れるときに、先生から「君はフランスに来て研究するつもりはないか?」と聞かれたので、私は即座に「はい、あります!」と答えた。実は私は大学時代第2外国語にフランス語を選択したが、専攻した学生が少なかったこともあり、とても充実した語学の勉強ができたので、いつかフランス語を使う生活をしたい、と夢見ていたところにそのような話があったのだった。

1980年9月の末から、パリの南西にあるオルセーという町にあるパリ11大学構内のLURE-DCIという放射光実験施設で研究生活を始めた。放射光施設は今では世界各地に数多くあるが、当時はまだ世界でも数える程しか存在しなかった。LUREは高エネルギー実験に使う装置で放射光を利用できるようにしたもので放射光の専用施設ではなかったが、そこでX線吸収微細構造(EXAFS)の実験をして、物質の構造解析をすることになった。1年あまりの滞在であったが、そこで経験したことがその後の研究生活の出発点になった。特に滞在を始めた直後の1980年の11月にイギリスのDaresburyで行われた EXAFS国際ワークショップに唯一の日本人として参加できたのは、貴重な経験だった。

この留学を契機にして、私は放射光利用実験に従事することになった。1981年に帰国してしばらくすると、つくばの高エネルギー物理学研究所にフォトンファクトリーが完成し運転が始まったが、そこに EXAFS の実験装置を作るためのお手伝いをする機会に恵まれた。その後日本では岡崎の分子科学研究所に UVSOR が建設されることになり、そこに軟X線分光に使う二結晶分光器を設置する仕事に携わることになった。そして1990年ごろから大型放射光施設 SPring-8 を西播磨に建設するプロジェクトが始動し、私はユーザーコミュニティの仕事をすることになった。阪神淡路大震災が起こったときには、ポートアイランドにあった事務局まで歩いて行ったこともあった。装置が完成してからは、ユーザーとしていろいろな実験をする機会に恵まれ、国内外の多くの親しい研究者仲間と交流した。

2001年に研究生活を離れざるを得なくなったが、1本の電話から始まったスランプからの脱出、その後の充実した研究生活は、私の人生の貴重な財産であることは間違いない。チャンスは決して逃さないこと、これはとても大切なことだと思う。

【略歴】

出身地 東京都
出身高校 大阪星光学院高校 1958年卒業
大学院  京都大学大学院理学研究科物理学専攻 博士課程 1966年中退
学位 京都大学理学博士
主な職歴等 京都教育大学講師、助教授、教授
2001年−2005年 京都教育大学学長
その他 20015年より日本物理教育学会会長

 

パリ11大学構内

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