物理学の道へ進んだ私
京都大学大学院理学研究科教授
日本物理学会第75・76期会長
永江知文
私が理科に興味を持ち出したのは、高校で数学教師をしていた父の影響があったと言わざるを得ない。小さい頃より、大きくなったら科学者になるかと言われて育った感がある。科学者が何を意味するかも理解しないまま、ただ憧れていた。顕微鏡や望遠鏡を誕生日に買ってもらったりしたものである。「キュリー夫人」や「湯川秀樹」という言葉にも慣らされていた。そうやって育っていった少年時代を過ぎて、私はどちらかというと数学に興味を持ち始めていた。これを物理へと向かわせたのが、高校で物理を教えてもらったY先生の強い影響である。Y先生という人物は色黒で目がぎょろっとしている小太りの先生で、睨まれると怖い顔なのだが、ニコッと笑い顔が人懐っこい先生であった。「誰か自分の教え子の中から、東大で物理をやるやつはいないか?」と授業中になんども聞かされたものである。公式の導き方を丁寧にやってもらった。夏休みの宿題に、問題集を一冊渡されたのであるが、夏休みに入る前に全部解き終わっていた。それほど物理が面白かった。
実はこの後でK先生という数学の先生に巡り合い、数学により戻しがかかる事になって、私の中の数学と物理の選択は、大学にまでもつれ込むこととなった。東大では、入学時に専門学科は決まっていない。理科I~III類のどれかに属して入学2年目に学科を選択する。通称進振りと言われるいい制度がある。そもそも自分が数学に向いているか物理に向いているかなど分かるものだろうか?これを17歳でやれというのは酷であろう。2年後なら大丈夫という訳ではないが、まだ増しと思う。現職の京都大学理学研究科にやってきて分かったのは、京都大学理学部でもとても面白い制度をとっていて、1学部1学科制をとっている。3回生になる時に、系登録と言って卒業研究として、物理、数学、化学、地球惑星、生物、のどれかを選択することにはなるが、基本的には理学部全体の好きな授業を取得できるシステムとなっている。理学部理学科所属となって、自由にカリキュラムを選択できるのである。どちらも学生を主体としたユニークな仕組みに思われる。他の大学でも面白い実践があるようだ。
物理を選択して、最後に考慮しなければならなかったのが、大学院の研究室を実験系にするか理論系にするかであった。研究分野としては原子核・素粒子の分野に興味を抱いていた。実験系の研究室の先生に相談してみたところ、実験では大学院において何か一つ実験の腕を磨けば将来は開けると言われて納得した。私は、高校・大学を通じてハンドボールをやってきた。実験はチームプレーである。物理をやっている学生のなかでチームプレーなら負けない気がした。
以上のような紆余曲折を経て、私は原子核物理学の実験研究者の道に進んだ。これが正しい選択だったのかはわからないが、大いに楽しんできたことは間違いない。
【略歴】
出身地 | 熊本県八代市 |
出身高校 | 熊本県立熊本高校 1977年卒 |
出身大学 | 東京大学理学部物理学科 1981年卒 |
大学院 | 東京大学理学系研究科物理学専門課程 1986年修了 |
主な職歴等 | 東京大学理学部物理学科 東京大学原子核研究所 高エネルギー加速器研究機構 京都大学理学研究科物理学第二教室 教授 |